世界の沿岸砲・要塞砲を紹介 【 中型砲編 】

要塞などの防衛施設に配置される、沿岸砲・要塞砲と呼ばれる大砲を紹介します。

このページでは、15cm砲から28m砲までの中型砲について取り扱い、以下の2つの点を満たした物のみを扱います

1. 20世紀に入ってから配備された近代的なもの

2. 今日でも破壊されず、保存状態が比較的良好なもの

なお本記事を元にした転載、リライト、動画サイトへの投稿はお止めください。

目次

デンマーク ステヴンス要塞 15cm砲


引用元サイト

旧ドイツ海軍のシャルンホルスト級2番艦グナイゼナウの副砲をデンマークの要塞砲として転用したもの。

大戦中のドイツ海軍の未完成艦などから取り外した111門のこの砲が、ドイツ軍の沿岸砲として使用されていた。

砲塔の設計は1930年代のものである。

砲について

砲はラインメタル社の15cm SK/C28 34口径砲である。

砲の全長は8.3mあり、砲身重量は9.065t。砲塔重量は120tあり、他の艦船に搭載されたものより10tほど重かった。

発砲時は装薬14kgで45kgの砲弾を秒速875m/sで撃ち出し、仰角40度で最大射程は23km。発射速度は最大毎分6発で、ドイツ海軍時代では最大毎分8発であった。

砲身寿命は1,100発である。

砲は毎秒8度で仰角を可動し、砲塔は毎秒9度で旋回することができた。

砲弾は徹甲弾、榴弾、焼夷弾、照明弾が用意されていた。

砲塔部地下弾薬庫には約500発の砲弾が格納され48時間砲撃可能なよう準備され、連装砲は要塞内に設置されたアナログコンピュータで射撃諸元を求めていた。

砲塔を運用するには15名の要員が必要だった。

動力が断たれた時のため、給弾用エレベーターを含め、全ての射撃動作はバックアップ機構によって手動で動かせるようになっていた。

装填

砲塔の中央、砲尾真後ろに揚弾エレベーターが設置され、弾薬庫から砲弾と金属薬莢入りの装薬が供給された。

エレベーターは2段式になっており、上に砲弾、下に装薬を置いて昇降した。これには地下の給弾手と連絡を取り合うための伝声管が取り付けられていた。

自動装填装置は使われておらず、砲弾と装薬は砲兵が装填棒を使って人力で押し込んだ。

射撃サイクルが早いため、あらかじめ数発の砲弾と装薬が砲塔内に置かれていた。

要塞と連装砲

ステヴンス要塞は有事の際、ソ連艦隊の大西洋進出を阻止するための要塞であり、核攻撃にも耐えられる特徴的な地層を持つ島の上に建設されている。

要塞は当時最新の艦船監視システムを備え、戦争になればNATOの増援部隊が到着するまでの時間稼ぎをすることが目的だった。

冷戦中要塞周囲の海域には機雷が敷設されており、これを突破する掃海艇や上陸部隊の船艇を撃破することが連装砲の任務の一つだった。

要塞には連装砲のほか、ナイキ対空ミサイル、ホーク対空ミサイルやボフォース対空砲が配備されおり、敵が補給線を遮断しても連装砲や防衛設備が3か月無補給で活動できるように、食料や燃料が貯蔵されていた。

要塞内部は石灰質の岩盤をくり抜いて空間を作り、そこに兵舎、手術室、通信センターなどが置かれていた。

運用

連装砲は冷戦中、デンマークの沿岸砲システムとして機能していたが1984年に予備役になった。

その後も射撃訓練が続けられ、最後の発射は2000年に行われた。

現在15cm連装砲は博物館の一部となっており、近年まで使用されていたことから良好な整備状態を保っている。

単装砲形式の同型砲塔などもここに保管されており、過去に要塞に勤めていた元兵士がガイドを務めることもある。

スウェーデン ヘムソ要塞 15.2cm連装砲


引用元サイト

スウェーデンのヘムソ島に建設された要塞に配置されている連装砲塔。

この要塞はもともと1916年に建設されていたが、1942年に重要度が増加したことでさらに多くの防衛設備が導入されていった。

要塞は最終的に冷戦時において耐核攻撃能力を持つ、スウェーデンで最大級の要塞になった。

砲について

この砲はボフォース社が大戦中に巡洋艦の主砲とした開発した15.2cm 53口径砲である。

もともとはオランダの巡洋艦用の15cm砲だったが、スウェーデンの15.2cm砲弾を使用するため改修が施されたものだった。

軍艦用のものは、連装砲の砲塔重量が110tあった。

発砲時は46kgの砲弾を秒速900m/sで撃ち出し、仰角45度で最大射程は26kmに達し、発射速度は最大毎分10発であった。

要塞には同型の連装砲が3基存在し、さらにより新型の7.5cm沿岸砲も配備されていた。

要塞そのものが防衛システムの一部であり、水上艦、潜水艦、対艦ミサイル、沿岸砲からなる防衛システムにより、ソ連の海上侵攻を食い止めることが目的だった。

運用

冷戦期に稼働中だった要塞は、1998年には一般公開となり、2009年からは民間人の手で管理されるようになった。

現在要塞は博物館として一般公開されており、連装砲も観光の見どころになっている。

スペイン 15.2cm ヴィッカース Model 1926 沿岸砲


引用元サイト

スペインの軍備拡大計画の一環として、イギリスヴィッカース社の6インチ砲をベースに1926年から配備を開始したもの。

速射性を重視し、巡洋艦や駆逐艦など比較的小型の標的を狙うように最適化された沿岸砲だった。

砲について

この砲はヴィッカース社の6インチ砲マークVをスペイン海軍工廠が製造したものである。

砲身重量は8.6t、銃身長さは7.9mで36条の旋条が切られ、沿岸砲システム全体の重量は約25tだった。

発砲時は15kgの炸薬を使用し、45kgの砲弾を仰角35度で秒速915m/sで撃ち出し、最大射程は21.6km。発射速度は最大毎分6発だが、実用上は毎分4発程度であった。

砲弾は徹甲弾と榴弾が用意されていた。

砲座はコンクリートで固められていたが、それ以外は正面にシンプルな砲盾が取り付けられているだけである。

このため沿岸砲としては防御力が低く、近距離で相手の砲弾や爆弾がさく裂した場合、破片などから砲兵を防御することは考慮されていない。

運用

この沿岸砲は1950年代中頃まで生産が継続され、全部で54基が配備された。

年代的に見ると沿岸砲としては新しい部類である。

現在は全てが退役しているが、スペイン各地に多数が残されており、観光名所として活躍している。

フィンランド タンペラ 15.2cm砲


引用元サイト

1950年代から80年代のフィンランド沿岸砲の主力兵器。

この砲は全くの新規設計ではなく、旧式の15.2cmの砲架をどうにかして再利用するために生み出された沿岸砲だった。

来歴

フィンランド軍は終戦後、自国に残る中口径砲の実態調査を開始した。

大戦中最も使用されたのは旧式の15.2cm45口径 カネー砲であったが、この砲は終戦時にそのほとんどが消耗あるいは破損した状態であることが明らかになった。

そこで、残ったカネー砲の砲架を流用する新たな砲の開発が始まった。

新型砲は旧カネー砲で問題になった無理な装薬による高すぎる発射圧を克服する新たな弾薬を使用すること、砲兵にとって致命的な破片やナパーム弾を防ぐ防護システムを備えることが要求された。

そして、継承戦争末期に旧カネー砲の改善設計を手掛けていたタンペラ社が選択され、計画は実行された。

砲について

新たな砲としてタンペラ社が製造する15.2cm50口径の砲が採用された。長砲身化にともない、ライフリングが38条から45条に増加している。

また初速が増加したため、ロシア製のマズルブレーキが装備された。

合わせて新たな弾薬が開発され、火力を増強するため砲弾は以前より10kg重くなった。

新たな砲身と弾薬の組み合わせにより、51kgの砲弾を炸薬30kgで秒速830m/sで撃ち出し、最大射程は25,000mで、発射速度は最大毎分6発だった。

給弾時は装薬を合わせると80kg近くになるため、砲弾と装薬を分離して運用する形式に変更されている。

砲弾は榴弾、徹甲榴弾、榴散弾、照明が用意された。

砲兵を守るため、厚さ8mm、重量4tのドーム型シールドで砲全体が覆われた。

試作段階ではドーム内に発砲煙が充満することが問題になったが、これは砲架に加圧システムを組み込むことで解決された。

砲初速が強力になったことで、旧式の砲架システムを流用した部品のいくつかに問題が生じ、その一部はドイツやスウェーデンから部品を調達して対処していた。

運用

タンペラ製の15.2cm砲は1956年に最初の配置が行われ、1980年代までに約50基が各要塞に配置された。

1980年代には初期に配置されたタンペラ砲が老朽化し、これらを更新するためにタンペラ製13cm砲が開発されることになる。

更新は進み、2002年に最後の砲が退役した。

ブラジル コパカバーナ要塞 19cm砲


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ブラジル政府は1908年にグアナバラ湾防衛の要として、20世紀の海軍力に対抗できる火砲を備えた要塞を建設する計画を立てた。

要塞は1914年に完成し、コパカバーナ要塞として運用が始まった。

要塞は2つの砲塔を備え、大型で大威力の30.5cm砲と、この中型で速射性を持つ19cm砲の2つが採用された。

砲について

砲はシュコダ社が1904年に開発製造した19cm VZ.1904砲を採用した。

この砲はオーストリア・ハンガリー海軍の軍艦用に開発されたもので、前弩級戦艦や装甲巡洋艦の副砲として運用されていた。

軍艦での運用と同じく、発射速度の遅い30.5cm砲を補佐し、標的に継続した砲撃を行うことが目的だった。

砲は97kgの砲弾を最大で18,200m先まで撃ち出すことが可能だった。

弾種は対艦用AP弾、半徹甲弾が用意された。

19cm砲は銃身全体が8mで砲部重量が12.5t、発射速度は毎分4発である。

フィンランド ルッサロー要塞 234/50 Be


引用元サイト

フィンランド軍が使用していたやや大型の沿岸砲のひとつ。

アメリカ製の砲であることと、その口径から珍しい沿岸砲でもある。

来歴

元はチリ海軍向けの砲だったが、外交圧力からこの契約は破棄され、ピョートル大帝時代のロシア帝国に14門が要塞砲として売却された。

砲はエストニアに2か所、そしてフィンランド独立時にフィンランド領となるルッサロー島の要塞に割り当てられた。

ルッサロー島には6門の砲が置かれ、1つの砲兵中隊に2門ずつを振り分けた配置をとった。

1918年にフィンランド軍がルッサロー島を占領したとき、砲身や砲架は無事だったが、ロシア軍は使用させないよう砲の砲尾機構を抜き取ってしまっていた。

そればかりか、先に島に上陸したドイツ軍が稼働用の発電機まで持ち去っている有様であった。

このためフィンランド政府はこの砲を復旧させるため、アメリカ政府に砲尾機構の調達を依頼し、アメリカ政府はこれを承認して輸送したのだった。

砲について

砲はアメリカのベスレヘム・スチーム社が製造した23.4cm 50口径砲である。

砲身は11.6mで重量が約30tあり、172kgの砲弾を18km先まで撃ち出す能力があった。

ロシア製の25.4cm砲と比べると新しく、口径が異なっていたが、構造的には変わりがなかったため支障なく運用できた。

運用には下士官3名と操作要員25名の力を必要とした。

砲には1936年から2年間かけて大掛かりな改良が施された。

内容は、砲架の改造による仰角向上、砲塔シールドの改良、仰角用電動システム、反動システムの改良、電気系統の改造などの20箇所に及んだ。

これにより、砲は最大仰角30度で最大射程が25.5kmまで伸びた。

発射速度は理論上毎分3発で、実用的には毎分1.5発とされた。

さらに砲弾にも改修が施され、これも射程距離の向上に寄与する結果となった。

砲弾は榴弾、徹甲榴弾、半徹甲榴弾、訓練弾が用意された。

砲は連射すると数発で弾詰まりを起こす問題があったが、これは1970年代まで解決されなかった。

砲塔シールドは後部解放式で完全なものではなかったが、正面や側面からの爆風や破片から砲兵を守った。

実戦運用と脱出

23.4cm砲は、冬戦争の1939年12月にソ連の巡洋艦1隻と駆逐艦2隻の船団に対して砲撃を行った。

ソ連巡洋艦は20kmの距離からルッサロー島要塞を砲撃したが、この距離は23.4cm砲の射程内であり、20分の間双方が砲撃した結果巡洋艦と駆逐艦に命中弾と至近弾で被害が出た。

ソ連側の見立てではこの射程距離で要塞から砲弾が届くはずはなく、疑問を残したまま引き返すことしかできなくなった。

冬戦争が終わると、モスクワ講和条約でルッサロー島がソ連領となることが決定し、ソ連にとって邪魔な要塞砲たちは危機に陥った。

フィンランドに与えられた猶予はたった10日であり、1門当たり50tにおよぶ要塞砲システムを移動させることは不可能かに思われた。

しかし、フィンランドの現地指揮官は諦めなかった。

民間人と兵士300名あまりを動員し、要塞砲システムを脱出させる計画を実行したのだ。

その間全員が力を出しきり、期限数時間前に全ての要塞砲を脱出させる奇跡を起こす。

その後継続戦争に突入し、1945年までに25.4cm砲はもとのルッサロー島要塞に4門が復帰した。

冷戦時代の1962年には、ついに最後の6門が要塞に戻った。

その後1983年まで運用が続けられ、現在では2門が博物館の所有で残されている。

アメリカ生まれの大砲は、遠いフィンランドの地で今も大海原を見つめている。

フィンランド クイバサーリ要塞 25.4cm砲


引用元サイト

フィンランド沿岸防衛部隊が20世紀初頭から運用する沿岸砲であり、第二次大戦までのフィンランド沿岸砲兵部隊の主力兵器だった。

多数存在していたが、現在はクイバサーリ要塞に残る一門のみになっている。

沿岸砲としての来歴は、サンプトペテブルグに侵攻する敵軍を食い止める前線として、ロシア帝国が建設した要塞用の火砲として選択されたことによる。

砲について

砲自体はロシア帝国のオブホフ製鋼所で開発された、前弩級戦艦用の主砲である25.4cm45口径砲である。

この砲は同時代の他国の砲と比べて軽かったが、それは同時に砲身の耐久性が低いという問題点もはらんでいた。

軽量であることは、設置の工期や大掛かりな動力設備を必要としない経済性の面で有利であり、沿岸砲としてその問題点は黙認できるとして配備は続行された。

それよりも問題視されたのが砲架であった。これは設計段階で旧式であり、すぐさま仰角を増す設計が施されることになった。

1905年になって仰角が30度に達する砲架が完成し、ようやく砲の機能を発揮するできるようになった。それからは開発に関係した将軍の名をとって「25.4cm 45口径デュラッハー砲」と呼ばれた。

砲は発射を指揮する士官4名と、各種作業を遂行する兵士20名により運用された。

デュラッハー砲は11.4mの砲身を持ち、235kgの砲弾を仰角30度で27,500m先に撃ち込むことができた。

発射速度は最大で毎分2発だったが、実際は早くて毎分1発程度だった。

砲弾には対艦用AP弾やHE弾、訓練弾が用意されていた。

沿岸砲システム1門当たりの重量は52t程度であり、口径のわりにシステム重量が軽いことがわかる。砲塔は簡素な造りでほぼ露天式であり、正面に対しては申し訳程度の防盾が装備されていた。

砲正面には分厚いコンクリート構造物を設け、砲身部分だけを上に覗かせることで正面からの驚異に対抗した。

しかし、砲には弱点も多かった。

まずは動力設備の不備である。電動設備が使われてない砲は操作要員が大量に必要であり疲労が蓄積、連続発射すると数十分で交代しなければ発射を維持できなかった。

人力で砲を旋回させる場合はその遅さのため動く標的を狙えず、あらかじめ砲を向け標的が射線上に達してから砲撃していた。

また弾詰まりも多く発生し、20発程度で反動に耐えかねた車輪と車軸が破損する故障も多発した。

至近距離で砲弾や爆弾がさく裂すると、むき出しの砲兵たちがひとたまりもない点も弱点だった。

運用

フィンランド独立時、ロシア軍はデュラッハー砲を破壊しながら撤退したが、それでも28門の使用可能な砲が残された。

恐らくは旧式の砲ということで見逃された可能性がある。

まとまった数の大口径砲はフィンランド軍にとって貴重な戦力であり、各所の要塞に急ピッチで配備されていった。

まずはロシア軍が建設途中で放棄した要塞跡地を利用し、1921年には複数の砲台が運用可能になり、1928年には28門が運用可能になった。

またフィンランド軍はデュラッハー砲の弾薬を改良することで戦力強化を図り、1930年までに20,000m弱だった射程距離を27,500mまで伸ばす事に成功した。

要塞ひとつにつき4門のデュラッハー砲が並べられ、入念に偽装を施して運用していた。

冬戦争

デュラッハー砲が最も活躍したのは、第二次世界大戦中にソ連がフィンランドに侵攻した冬戦争および継続戦争である。

敵の陸上戦力、上陸部隊、軍艦への砲撃に使用されており、地上の敵への砲撃がほとんどだった。

その中でもソ連戦艦と撃ち合った記録は印象深い。

これは1939年12月に、地上部隊への砲撃を行うコイビスト島のザーレンペー要塞に対し、ソ連がガングート級戦艦を差し向けた戦闘である。

ガングート級は30.5cm砲を12基搭載しており、火力では遥かに格上の相手だった。

戦闘は2日続き、ソ連軍は艦砲射撃、数隻の駆逐艦、航空爆弾による激しい攻撃を行った。

これらの攻撃に関わらず、ザーレンペー要塞砲兵隊は持ちこたえ、小口径砲を駆使して観測機や駆逐艦の接近を阻み、デュラッハー砲を守り抜いた。

デュラッハー砲は距離20km前後で時折砲撃し、戦艦でも無暗に射程内に入ることを躊躇させ、最終的に撤退させた。

ザーレンペー要塞砲兵隊はソ連海軍に殆ど何の損害も与えられなかったが、ソ連戦艦の要塞壊滅計画を見事に阻止することが出来た。

その後要塞は2月まで航空爆撃に耐えながら地上部隊を砲撃していたが、ソ連地上軍が優勢になると退却を決断。砲を破壊して撤退した。

この戦闘ではソ連側の攻撃も砲台にあまり効果を上げられなかったが、砲台側は連続発射による故障と伝令網の混乱で厳しい状況に陥った。

全ての砲台が健全なことは殆どなく、砲撃時は使用を一門の砲に限定して故障するまで発射し、その後故障してない砲に引き継いで砲撃を維持するきわどい運用を迫られていた。

戦後

1944年モスクワ休戦協定により全てのデュラッハー砲は撤去されることになった。

軽量だが運用時に気を遣う、頑固な老兵のような大砲だったが、数々の戦いで運用されたことからフィンランド砲兵からの評価は高かった。

戦後予算の苦しいフィンランド政府は、デュラッハー砲などの旧式兵器を復帰させる計画を立てた。その中にはデュラッハー砲の連装砲化もあったようだ。

しかし、当然ともいえるようにこの砲は旧すぎた。

1960年代に開発されたタンペラ社の152/50 T沿岸砲と比較が行われた結果、 火力は同等であるが、その他に必要なコストが圧倒的に多いと評価され、1門のみをクイバサーリ要塞に保存維持するよう決定された。

現在フィンランド最後のデュラッハー砲は他の巨砲たちとともに、たまに観光客の相手をしながら、フィンランド沖に沈む太陽を見つめ続けている。

ノルウェー アウストラット要塞 28cm3連装砲


引用元サイト

旧ドイツ海軍のシャルンホルスト級2番艦グナイゼナウの主砲をそのまま要塞砲として転用したもの。

戦艦の主砲そのままなので、装甲が厚く防御力が高い。

砲塔の設計は1930年代のもので、現存している要塞砲のものとしては新しいといえる。

もともとこの砲はグナイゼナウが38cm砲に換装するまでの一時的な砲として搭載されたものだったが、結局換装が果たされることはなく28cm砲で戦い続けることになった。

38cm砲自体は完成し、沿岸砲としてドイツが支配する各地の防衛用に使用された。

来歴

グナイゼナウは1942年から43年にかけてポーランドで空襲を受けつつ、38cm砲への換装と修理を進めていた。

しかし1942年12月、バレンツ海の戦いでドイツ海軍が輸送船団を仕留めそこなう失態を犯したことで事態が変わる。

この時ヒトラーは水上艦から潜水艦による作戦行動に切り替え、海軍の資源をUボートに集中するよう命じた。

グナイゼナウは一瞬で存在価値を失い、搭載された兵装がドイツ占領下の各地で有効活用されるよう手配が進んだ。

A砲塔は単装砲に分割されてオランダに送られ、B砲塔はノルウェーのフィエル要塞の主砲として、C砲塔は同じくノルウェーのアウストラット要塞に送られた。。

砲について

砲はクルップ社の28cm SK/C34 53.5口径砲である。

この砲はドイッチュラント級戦艦の主砲の28cm SK/C28砲の改良型で、砲身長がより長くなり、さらに強力な弾丸を使用できた。

さらに戦艦としては小口径であることを補うべく、このクラスの艦砲としては非常に速い連射速度を発揮した。

また、艦砲射撃で長距離を命中させた記録を持つ砲としても有名だった。

砲の全長は15.4mあり、砲尾を含めた重量は53.25tである。

砲は330kgの砲弾を装薬120kgを使い初速890m/sで撃ち出し、最大で39.8km先まで届かせることができる。

高速な装填システムが実装され、装填システムが完全に機能した場合、毎分3.5発の発射が可能だった。

これは弾薬・装薬合わせて400kgになる発射体を17秒に1回の装填サイクルで回せることを意味した。

砲弾は徹甲弾、半徹甲弾、榴弾、対空砲弾が用意されていた。

通常砲塔はディーゼル発電機から動力を得たが、動力供給が消失した場合に備え、全ての作業を人力で行うためのバックアップ機構が備わっていた。

砲塔区画

砲塔システムは5層構造で、地下15mまで貫かれており、周辺の施設とつながっていた。

砲塔部地下横には弾薬庫があり、その周りに発電機、燃料庫、水貯蔵室、兵舎、通信室などが置かれた。

砲塔地下は数か所の入り口があり、換気システムにより兵舎やディーゼル発電機に空気が取り入れられていた。

要塞内部の通路には、運搬貨車レールが引かれていた。

戦艦用の装甲された砲塔部分は250mmの装甲を持ち、800tの重量があった。

この巨砲を運用するには、士官10名と砲兵員107名が必要であり、当然別の地区にある射撃指揮所からの管制データも必要だった。

また、その射撃指揮所も30名程度の兵員が必要だった。

運用

要塞砲は1943年8月には運用が可能になったが、大戦中に戦闘は発生せず終戦を迎えている。

その後ノルウェーの沿岸砲システムとして機能していたが、1968年に退役した。

退役後も整備は維持され、その整備が終了したのは1977年のことだった。

現在28cm3連装砲は博物館として一般公開されており、大戦時の科学技術をほぼ完ぺきな姿で今日に残している。

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