要塞などの防衛施設に配置される、沿岸砲・要塞砲と呼ばれる大砲を紹介します。
このページでは、30.5cm砲から40.6m砲までの大型砲について取り扱い、以下の2つの点を満たした物のみを扱います
1. 20世紀に入ってから配備された近代的なもの
2. 今日でも破壊されず、保存状態が比較的良好なもの
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ブラジル コパカバーナ要塞 30.5cm砲
コパカバーナ要塞の2つの砲塔のうちの1基。
戦艦と撃ち合うため大型砲として戦艦の主砲級である30.5cm砲が採用されたものである。
砲について
砲はクルップ社が1908年に開発製造した30.5cm L/50砲を採用した。この砲は他国でも沿岸砲としての使用例が複数見られるものである。
L/50砲はイギリス製の同口径のものよりも貫通力に優れるという利点を持っていた。
砲身は砲尾込みで15.2m、重量は約52tである。
この砲は445kgの砲弾を最大で23km先まで撃ち出すことが可能だった。弾種は対艦用AP弾、HE弾が用意された。
コパカバーナ要塞が採用したのはこの砲の初期型であり、後年同型砲に施された仰角向上などが成されていないため、射程距離は短いものにとどまっている。
砲塔はコンクリート構造物に背を低くするように埋め込み、相手の砲撃に耐えるように設計されている。
戦艦に搭載される砲塔と違い、コンクリートに頼れる沿岸砲の砲塔は軽く造られていると考えられる。戦艦用が550t程度なので、重くても300t程度であろう。
要塞にはほかに引き込み式の7.5cm砲も存在したが、現在は撤去されている。
運用
コパカバーナ要塞は敵国との防衛ではなく、自国での反乱時に火を吹いた。
1922年に当時の大統領選に不満をもった一派が、要塞で反乱を引き起こし、他の要塞と撃ち合う事件が起こった。
反乱軍は鎮圧され、逮捕された者のほとんどは処刑されたが、後のブラジル革命に繋がる新たな時代の幕開けとなった事件となった。
コパカバーナ要塞の2基の砲塔は、重要な局面の舞台となったことで、ブラジルの歴史の遺構として現在でも大海原を見つめ続けている。
ウクライナ セヴァストポリ 30.5cm砲
渦中のウクライナ(ロシアの実効支配)、クリミア半島セヴァストポリを護り続ける巨砲。
第二次世界大戦ではソ連軍とドイツ軍が熾烈な攻防戦を繰り広げたセヴァストポリ要塞の主砲である。
背景
セヴァストポリは地理的に極めて重要な要所であり、この場所に強力な砲を備えた要塞を建設する計画は、ロシア帝国ニコライ2世の時代に存在していた。
1912年に計画が承認され、急速に発達する列強の戦艦とその砲に対抗するべく、当時ロシア帝国で最新の砲と運用システムによる要塞の建設が決まる。
建設は十月革命によるソビエト連邦成立で中断したが、1928年から再開され、1937年ごろには運用が可能になった。
要塞砲は砲塔二基一組と付属施設で成り立っており、10km程度距離を離して2区画が設置されることになった。
ソ連軍内では一方を第30沿岸砲台と呼び、相対したドイツ軍はマキシム・ゴーリキⅠ砲台と呼んだ。
もう一方をソ連軍内では第35沿岸砲台、ドイツ軍はマキシム・ゴーリキⅡ砲台と呼んだ。
マキシムゴーリキⅠおよびⅡの30.5cm砲8門の火力はおよそ1隻の戦艦に匹敵し、まさに要塞戦艦とも呼べる代物であった。
砲について
砲はオブホフ国営工場製の30.5cm 52口径砲が選択された。
この砲はソ連海軍の戦艦用に開発されたもので、この砲を連装式に搭載するMb-2-12砲塔が要塞砲として使われることになった。
砲塔は鋼鉄製の外殻により頑丈で重く、1000tの重量があった。
砲身重量は51tで、バレルは14.4m、砲全長は15.8m、発射速度は理論値で毎分2発、砲身寿命は約300発だった。
1940年に40度の仰角まで砲を稼働させられるように改修が施されている。
砲弾は対艦用AP弾と榴弾が用意されており、AP・榴弾は初速853m/sで重量446kgの砲弾を28.7km、軽量の長射程砲弾であれば初速950m/sで重量314kgの砲弾を44km遠方に撃ち出した。
ほかには打撃力を高めるために超重量弾も試作されたが、実用的でないとして採用されなかった。
砲台区画の構造
砲台区画は厚さ4m、幅130m、奥行き50mの2層鉄筋コンクリート構造をもち、この中に弾薬庫、各種倉庫、宿舎、指揮所、整備室、機械室、バッテリー室、キッチン、食堂、医療センターなどのあらゆる設備が配置されていた。
砲台区画だけでひとつの要塞ともいえる規模であり、司令部は地下40mに置かれ、測距儀、発電所も分散して配置されていた。
その周囲にはほかの防御陣地や付随設備が張り巡らされ、周囲十数キロの範囲に及ぶセヴァストポリ要塞群を構成した。
クリミアの戦い
1941年10月、ドイツ軍のクリミア侵攻に対してマキシムゴーリキ砲台は火を噴いた。
砲台はその年の終わりまで様々な距離でドイツ軍を迎え撃ち、千発以上の砲弾を発射した。
過剰な発砲によって砲の命中精度が低下する問題が発生したが、砲身交換を突貫で行うことで対処している。
ドイツの猛攻
1942年6月に状況は一変する。
ドイツ側がセヴァストポリ要塞とマキシムゴーリキ砲台を破壊するため、あらゆる大砲をかき集めて戻ってきたのである。
各種りゅう弾砲、30~40cm口径の攻城砲、そして60cm自走臼砲カールと80cm列車砲グスタフが投入された。
グスタフは最大で7tのべトン弾を運用できる歴史的にも最大級の巨砲で、セヴァストポリ要塞の一部にある海底30mにある厚さ10mのコンクリートで守られた弾薬庫を破壊する戦果を挙げたが、マキシムゴーリキ砲台を狙うには精度が悪く、ほとんど被害を与えなかった。
一方でカール自走砲は射程距離が短いものの、列車砲より精度が高く、砲弾の炸薬も非常に多い上、他の大砲と同時射撃して存在を隠すはるかに危険な存在だった。
カール自走砲の砲弾は長さ2.2mで3.5tの重さがあり遅く、巨大な弾頭が自分たち目掛けてゆっくりと落下する様子は、ソ連守備隊にとって恐るべき光景だったことだろう。
カール自走砲は2発命中し、1発が砲塔に損傷を与え、もう一発はコンクリートを貫通している。
だが、ドイツは用意された超重砲を使っても、セヴァストポリ要塞ならびに砲台を完全に沈黙させることはできなかった。
80cm列車砲は48発の砲弾を撃ち尽くし、砲身交換する羽目に陥った。また他の大口径砲も要塞群の高い耐久性で砲弾が底をついたのである。
一方の砲台側も、過度な砲撃による銃身摩耗と砲弾不足、兵員の負傷と過労により機能不全に陥りかけていた。
最終的にドイツ軍工兵部隊によって砲台は沈黙し、要塞は陥落した。
砲撃と爆破によって砲塔はひどい損傷だったが、マキシムゴーリキ砲台のコンクリート防護された施設はそれほど被害を受けなかった。
一説ではドイツ軍占領時に要塞の調査が行われており、要塞の徹底された防御配置や要所のコンクリート防護などの巧みな設計、極限状態の使用に耐え抜いた主砲のデータなどを高く評価したとの記録もある。
戦後の運用
マキシムゴーリキⅠは戦後再建され、砲塔を3連装式に強化された。この砲はロシア海軍の戦艦ポルタワから取り外したもので、これを2基使用し合計6門の火力が維持された。
合わせて近代化改修が施され、レーダー、電子測距装置、熱源探知機を備えた当時最新鋭の射撃管制システムを導入し、60ノットで移動する標的に対応する能力が付与されている。
一方のマキシムゴーリキⅡは再建されなかった。
マキシムゴーリキⅠは1997年まで運用されていたことから、現在でも保存状態は良好であると考えられる。
もう使用されることはないだろうが、世界に残る要塞砲としては最も高い火力投射量をもつものであると考えられる。
フィンランド クイバサーリ要塞 30.5cm砲
クイバサーリ要塞に配置されている砲台では最大の大きさの連装砲で、要塞砲システム全体の保存状態が良好な世界でも貴重な存在である。
この砲は1930年代から建設されている。
来歴
もともとクイバサーリ要塞は、20世紀初頭にフィンランドを統治していたロシア帝国が、サンクトペテルブルグの前衛基地としてフィンランド湾の防衛力を強化するために建設を開始した要塞群の一部である。
ヘルシンキの沖合にある小島群が建設場所として選択され、1910年代の最新の沿岸砲システムが導入され、連装式12インチ砲台、単装式の10インチ砲や6インチ砲を備えた要塞群が完成した。
その後ロシア革命による混乱に乗じ、フィンランドは独立宣言して最終的に1918年にフィンランド共和国が成立。ロシア軍は要塞を運用するどころではなくなり、ロシア領内に引き上げた。
ロシア軍は撤退時に砲台を破壊したが、一部の資材や装備は再利用されることになった。最も貴重な備品は、損傷を免れた30.5cm砲の砲身である。
こうしてフィンランド湾の要塞群は新生フィンランド政府の防衛力として組み込まれることになった。
月日がたち、1931年に30.5cm砲を運用する頑丈な連装式砲台を建設する計画が決定された。
砲台はマキルオト島とクイバサーリ島に1基ずつ建設されることになり、1935年には運用可能な状態に仕上げられた。
この連装砲とは別に、単装砲で運用するタイプは先んじて配備されていた。
砲について
砲はオブホフ国営工場製の1907年式30.5cm 52口径砲で、セヴァストポリ要塞のマキシムゴーリキに使われたものと基本的に同じである。
砲身重量は51tで、砲全長は15.8m、発射速度は理論値で毎分2発だった。
砲弾は主要なもので対艦用AP弾と榴弾が用意されており、AP・榴弾は初速853m/sで重量446kgの砲弾を28.7km、軽量の長射程砲弾であれば初速950m/sで重量314kgの砲弾を44km遠方に打ち出した。
砲身寿命は200発とされており、同じ砲を使用したソ連軍の記録の300発より少ない。
フィンランドの極寒の条件では砲身の寿命が短くなり、十分な余熱なしで連射した砲身が破損する事故が発生した記録がある。
砲塔は300mmの装甲板で覆われており、地下5層構造の頑丈な設計で、1000tの重量だった。
高度な動力機構によって旋回角度は最大で毎秒39度を発揮し、2km先を280km/hで飛行するヘリコプターも追尾することができる。
幻の新型砲塔
冬戦争最中の1940年1月、フランスはチュニジアで拿捕したソ連戦艦インペラートル・アレクサンドル3世の30.5cm砲をフィンランドに送ることを決定した。
12門の砲は4門ずつ3隻の輸送船に載せられたが、1隻がドイツ海軍に拿捕されたことで8門の砲が到着した。
この砲を使い、イソサーリ島とマキルオト島に新たな連装砲塔を建設する計画が立てられた。
この連装砲塔は5層構造から3層構造に簡略化され、砲塔重量も軽くなり、砲架を最新式にすることで仰角を45度に引き上げて射程距離50,000mを達成する新型砲塔だった。
工事は進められたものの、人員不足で思うように進捗が進まず、結局完成前に停戦となり計画は放棄された。
装填機構
砲には戦艦の給弾システムが使われている。
まず砲弾と装薬が入れられた給弾ユニットが、砲塔真下の弾薬庫からレールに沿って昇降してくる。この時砲弾は既にガイドの上に載せられている。
砲弾は砲弾押し込め装置によって装填され、続いて上部のふたが空いて装薬がガイドに載る。
装薬も同じように装填し、給弾ユニットは地下に降りて次弾の準備を始める。
砲弾押し込め機はチェーン式のタイプが採用されており、巻き戻してコンパクトに格納できるようになっている。
運用について
2基の砲塔は大戦中、大きな戦果として輸送船団に向けた砲撃しか記録が無く、ほかの戦闘は散発的なものであった。
これは、同じ30.5cm砲を使用した簡素な単装解放式砲塔が多数運用され、中には数百発発射した記録が残っている点と対照的である。
このため連装砲は主力ではなく、使われない切り札のような存在だったらしい。
だが、抑止力として考えると戦艦級の主砲を遠距離から高精度で放ち、装甲も十分な砲塔は敵対者にプレッシャーを与えたことは間違いない。
セヴァストポリ要塞のマキシムゴーリキと同じ砲を使用する砲塔も、軍関係者であれば知られた存在だと考えられる。
これらの大口径砲に頼るフィンランドの防衛志向は高く、時間と予算が許せば最大射程50kmに達する30.5cm連装砲を複数建設していたことだろう。
1944年のソ連との休戦協定では解体・移設命令が出されて実行されたが、1947のパリ講和条約でこうした圧力から解放された。
その後フィンランド国防会議で防衛施設復旧が決定し、砲が戻ったことで1961年にクイバサーリ要塞砲として試射を行うまでに機能を回復した。
他の装備品は他の要塞から集める形で砲塔を復活させている。マキルオト島の連装砲は返還前に破壊されたが、いくつかの部品はクイバサーリ要塞の役に立ったはずである。
ただ時代はすでに対艦ミサイルのものになっており、1970年代には維持費の膨大な巨砲は退役することになり、20年近く放置された。
博物館として復活
しかしクイバサーリ要塞は見捨てられた訳ではなかった。
1990年に沿岸砲兵隊の司令官が、フィンランドの動乱を記録する博物館として要塞を復元する計画をスタートさせ、数多くのボランティアの手を借りて実行に移したのだ。
1992年にクイバサーリ要塞は博物館として多数の要塞砲・沿岸砲を備えた場所として生まれ変わった。
その中で30.5cm砲の保存状態は非常によく、現在でも数年に一度の特別な祝賀で試射を行えるほどである。
これは礼砲のようなもので、装薬を減らし、水袋を重りとして使うことで本来の砲弾重量に近づけてから発射される。
昔は実弾を使用したこともあったが、周辺への被害と国家の海運航路への周知・混乱などの問題からすぐに取りやめとなった。
クイバサーリ要塞は博物館でもあるが、同時に現役の要塞でもあるため、観光目的の立ち入りは積極的に行われていない。
巨砲が今日まで姿を保ったのは、比較的最近まで運用されていたことと、祖国を護り続けた巨砲への人々の愛だということは間違いないだろう。
スペイン沿岸砲台 38.1cm砲
スペインが1920年代から運用していた超大型の沿岸砲。
砲はイギリスのヴィッカース社開発の 38.1cm/45 Model1926。
この砲の前身は第一次大戦勃発により建造途中でキャンセルされた、ブラジル戦艦リアチュエロ用に開発された主砲である。
スペインはこれを18門発注し、今後登場するであろう新型戦艦への対抗手段として沿岸部の要所に配置した。
沿岸砲としては単装のシールド付き砲塔に収められて運用された。
砲について
38.1cm/45 Model1926は45口径で約17メートルの砲身を持ち、砲身重量は88.3tである。
本砲は装薬196kgによって782m/sの初速を生み出し、885kgの砲弾を仰角40度で35.1kmの距離に撃ち出すことが可能だった。
砲弾は対艦用の徹甲弾と、広範囲用の榴弾の2種類が用意されていた。
設計上は最大で毎分2発の砲撃が可能だった。しかし、これは飽くまでカタログスペックと考えるべきである。
計画された当初は強力な砲であり、敵の艦船や上陸部隊の接近を阻止するには十分な能力と考えられる。
また採用されてしばらくの間は、ほぼ同じ砲を運用するイギリス海軍の砲弾を使用できる点も強みだった。
砲塔重量は223tである。戦艦用の連装砲塔では900t弱の重量があるので、防御力は低いと言わざるを得ない。
砲弾の破片や爆風を防ぐことはできるが、敵艦の主砲や爆弾の直撃はひとたまりもなかっただろう。
給弾システム
操作員がレバーを引くことで油圧および空気圧式で砲の制御を行う操作系になっていた。
戦艦の給弾システムがそのまま採用され、砲塔地下にある弾薬庫と砲塔内部を往復する昇降式給弾装置が装備されていた。
この給弾装置は上下2連式になっており、上部に装薬、下部に砲弾がこめられてこれを装填した。
バックアップシステムとして装填動作は手動でも行えるようになっており、砲の後部に砲弾と装薬を乗せる台が接続され、装填棒を使って人力で砲に押し込んだ。
例にもれず、砲塔部はシステムの一部であり、弾薬庫やそれに付随する区画が地下に張り巡らされていた。
動力用に複数のディーゼル発電機が用意され、巨大な砲塔のエネルギーを賄った。
運用など
沿岸砲は採用されてから、スペインの数か所の要塞に数門ずつ配置されて運用された。
時代が変わるごとに配置される場所を移し、スペインの防衛体制を支え続けた。
この沿岸砲システムは、戦後に他国の類似システムが対艦ミサイルなどにより更新される中で、一部は退役しながらも非常に長い期間現役で運用された。
旧式の大砲システムに軍がどれだけ期待したかは不明だが、1990年代には北欧のシステムで改修が行われ、最後の砲台は2008年まで運用状態にあったとされている。
モーヴィク要塞 38cm砲
ノルウェーのモーヴィク要塞(クリスチャンサン大砲博物館)に配置されている超大型の沿岸砲で、大戦中にドイツ海軍が戦艦と交戦するための要塞砲として建造。建造時の要塞名はヴァラ要塞だった。
砲について
砲はビスマルク級に搭載されたクルップ社が製造する38cm SK/C34砲が選択された。
この砲はもともとソ連戦艦のクロンシュタット級、ドイツ海軍戦艦のグナイゼナウ、同巡洋戦艦のO級の主砲として製造が進められたが、計画が全て白紙になったことから砲が余っていたことに依る。
要塞砲化するにあたって薬室を大型化する改造が施され、さらにジークフリート砲弾と呼ばれる軽量で長射程の砲弾も用意された。
38cm SK/C34砲は52口径で砲身長さが約19メートルあり、800kgの砲弾であれば35.6km、495kgのジークフリート遠距離砲弾を使えば40km、さらにこれを装薬フルチャージで使うと56kmの射程距離を発揮できた。
発射速度は毎分約2発であり、最大速度では3発だったが、実戦では毎分約1発以下で発射された。
砲身重量は110t、砲塔重量は不明だが、戦艦用の連装砲塔では1052tの重量があった。
砲は円筒状のコンクリート構造物の射撃プラットフォーム上に置かれ、360度旋回し、60度の仰角を発揮できた。
構造
プラットフォームは大きく2か所に分かれており、砲と装填装置を収めた砲塔部、給弾ホイストクレーン機構一式と砲塔旋回および砲の仰角を制御するモーターのある駆動部で構成された。
弾薬庫はプラットフォーム横の地下に設けられ、動力を賄う大型発電機、兵員室、連絡通路も設けられた。これらは3mのコンクリートで防護された。
プラットフォームは頑丈だったが、屋根のない解放式だったため、爆撃機の格好の標的となった。
弱点を克服するため、ドーバー海峡のカレーに配置されたトート砲台などでは、上から装甲板つきのコンクリートドームで囲う処置が施された。
コンクリートドームは空からの防御力を提供したが、砲は旋回角度が120度に制限された。
装填
以下は発射までの手順である
弾薬庫にある砲弾および装薬をクレーンを使い、弾薬庫区画とプラットフォームとの壁に設置された給弾用台に載せる。
給弾用台の奥は壁と一体化した両扉式の置台になっており、ここに砲弾・装薬を転がして扉を閉める。
壁の反対側に台車を準備しておき、扉を開けて置台にある砲弾・装薬を台車に移し、砲塔後部の真下に持っていく。
砲塔後部の2つの昇降エレベータに砲弾・装薬をそれぞれ載せ、砲塔内部に揚げる。
砲弾・装薬は横向きなのでエレベータの籠を90度回転させ、装填台まで転がす。
人力の押し棒で砲に砲弾・装薬の順で装填する。
閉鎖機を閉じ、各種計器の安全サインを確認し、命令された射撃諸元を設定。
指揮官からの合図とともに砲撃手が発射。
発射後はすぐに砲を水平にもどし、薬きょうを取り出す。
薬きょうは砲塔右の排莢口に滑り落とし、砲撃サイクルを繰り返す。
クリスチャンサン大砲博物館には4つの38cm砲跡があり、現存する1門、プラットフォームの台座のみのもの、コンクリートドームなどが遺されている。
トロンデネス要塞 40.6cm砲 アドルフガン
ノルウェーのトロンデネス要塞に配置されている世界最大級の沿岸砲で、連合軍の戦艦と撃ち合うことを想定して造られている。
砲はもともと大戦末期に計画されたものの計画中止になった、ドイツ戦艦であるH級の主砲の40.6cm SK/C34砲である。38cmSK/C34砲と同じくクルップ社が製造した。
沿岸砲にする際、単装形式にして要塞各所に分散配置し、戦艦と向き合った。
当時の戦術理論によれば、1門の沿岸・要塞砲は軍艦に搭載された同口径砲4門に相当すると考えられていた。
砲について
40.6cm SK/C34砲は52口径で砲身長さが21メートルあり、砲身重量は158tである。
1030kg・装薬302kgの徹甲弾であれば42km、軽量の600kg・装薬312kgの遠距離砲弾を使えば56kmの遠方から標的に砲弾を撃ち込むことができた。
発射速度は設計上最大で毎分2発であるが、実戦上では毎分1発以下だった。砲身寿命は200から250発程度と考えられている。
砲塔重量は不明だが、戦艦用の連装砲塔では1452tの重量があった。
一説によれば砲塔は4cm厚の鋼鉄で覆うのみで、敵艦の砲弾は分厚いコンクリート壁で防護するという割りきった設計であったという。
このため戦艦用半分以下と考えるのが妥当だろう。
構造
沿岸砲の構成は38cm砲と同じであり、砲と給弾装置のある砲塔部、給弾クレーンと各種旋回装置の2つの部分からなるプラットフォームである。
砲塔中心軸に支柱を通し、砲塔後部にレールを円を描くように敷いて、これに沿って砲塔全体が旋回するようになっていた。
レールの後部には、真下の砲弾運搬手を守るためにヒンジ付きの鉄製蓋が全周にわたって配置され、砲塔後部が近づいたり遠ざかったりするごとに開閉する凝った造りをしていた。
砲塔内部には車輪の付いた載せ台が2つあり、台を横にスライドして砲と一直線上にしてから砲弾と装薬を後部から装填したと思われる。
砲塔後部に2つのエレベータがある装填構造や給弾の流れも38cm砲と同じであるが、砲弾がさらに重くなったため、人力でなく油圧および手動ハンドル切替式の砲弾押し込め機が採用されていた。
トロンデネス要塞のものは、現存する要塞砲の中では最大級であるが驚くほど保存状態が良く、つい最近まで砲を旋回させたり、砲を上下に可動させる様子の動画が上げられている。







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